THE LABEL RAFFLESIA

ザ レーベル ラフレシア

「producerの独り言」 マルタニカズ

ザ モルモッツのCDが出来てきた。

the LABEL Rafflesiaとしては4枚目のアルバムになる。


おれは、もうそこら辺どうでもいいのだが、やっぱりproduct フェチなんだろうな。アルバムには思い入れがある。

しかも今回はちょっとした「コンセプト・アルバム」になってるから、まあ一通り「流れ」で聴いていただけたらな・と思う。

元は現代の男のmetaphorであるところの「実験動物・モルモッツ」の、飼い主からの無慈悲なtreatmentに翻弄されつつも、そこからの脱走・そして、敗北、帰還、諦観、服従、みたいな。

ただ、途中で高瀬が亡くなってしまう・というシャレにならん事件が起こってしまい、その後の展開が見えなくなってた。おれもちょっとダメージ大きくって、途方にくれてしまってた。


その時期は北林純が逝った直後でも有り、その後親父が亡くなった。

おれの周りで、死者が重なる時期というのがあって、それは2007あたりが第一回目で、知世ちゃんの兄貴の大蔵が、そしてHONZIが相次いで逝き、その後しばらく落ち着いたかなと思っていたが、まあおれもそうだがみんな歳を取っていってるのである。

しかし実に人がよく死ぬ。そのほかにもwonや松さん、最近では橋本くん。様々な理由で。

 

「生きてるうちが花なのよ。死んだらそれまでよ」

身も蓋もない話だが、それ以上の「含み」がもうない・そんな気さえする最近ではあった。


そんな時、高瀬の両親から「アルバムを作らないか」とのofferがあり、ex-producerがいるのなら、ということで始まった。始まりは塾・大学が終わる3月。

自分の中では、動き出すにはもう一つ「条件」があって、それは大阪の地名の入った曲を書く・だった。これは曽根崎時代に「dead end street」のアルバムを作りたい、そう思って未遂になっていたprojectへの「ちっちゃな落とし前」でもあった。中津に来て以来、色々あって、まあよくその際に「自主制作弁当」とワインなどを持って淀川べりへと行っていた。

誰かと行った・というわけではなく、間違いなく一人だったが、その淀川体験も10年も続けてたら自分の中の心象風景にもかなりの変容が生じる。

最初はかなりダウンしてた時であの葦の茂みの中、適所だな、なんて。それが徐々に季節の変化を体感する場となり、その変化は寒さが緩んでくる時期が最適であることを体験的に知るようになる。端折っていうなら高瀬の転勤の噂の時期と微妙に重なっていた。あのバカの存在は、Todo O Mundoの中津の歴史とも見事にシンクロしていて、まあおれも大変救われた。北村先生との出会いも高瀬のおかげでもあり、藤井拓もまたそうであると言ってもいいと思う。今回の参加の「布石」だね。

自分の気持ちも初期のマイナス100ほどがプラス50ぐらいにはなっていた。まあ10年だからさ。人はいろんなものに救われつつ生きて行くと思うんだけど、あの「川」の存在って大きかったな・と今思うのだ。

「淀川の水、温む頃」と最初のフレーズは決まっていて、「火星に転勤」とタイトルも決まっていて、それがやっと恒例の「お誕生日・トリビュート演奏会」に間に合った。3.6のことだった。物事が進むには「ドライヴ」が要るのね。イアン・ワトソン『川の書』なんてのもアタマの隅っこにはあったのかもしれない。

曲を書くことは小説を書くことにも喩えられると思うが録音をすることもまたそうであるとおれは思う。おれのスタイルは決まってることを弾く、ではなく決まってないが「モヤモヤしてること」を「作りながら・弾きながら具現化」して行く・だから。無意識のうちに自分を追い込んで行って、それで何が出てくるのか、そんな「楽しい自分SM」みたいなことか・と思う。そんな愉しみを久しぶりに味わえた。

今んとこ、Todo O Mundoで売ってますが、販路も少しずつ広げて行くつもり。

いいアルバムになってます。モルモットたちもまあ頑張ったよ。